あれから9年
2023.09.26
hobby
こんにちは。
9年前の当時も、今と同じように百名山ピークハント中だった花島です。
2014年9月27日11時52分、長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山が噴火。
紅葉シーズン真っ只中の土曜日、250人以上の登山者がいた最中、噴火警戒レベル1だったにも関わらず、正午間近に突然噴火が発生。
死者58人、行方不明者5人、戦後最悪の火山災害となりました。
火口から約1キロ圏内では、直径数㎝から60㎝の大きさの噴石が、最大時速350キロから720キロで雨のように降り注いだと見られていて、死亡が確認された58人のほとんどは噴石が直撃したことによる損傷死だったそうです。
あれから9年。
噴火以降続いてきた山頂付近の長野県側の尾根「八丁ダルミ」の立ち入り規制が今年の7月29日に初めて解除されました。
火口近くの尾根「八丁ダルミ」は噴石から身を守れるものがほとんどなく、周辺で16人が犠牲となったため、噴火以降、立ち入りが規制されてきましたが、噴火の際に逃げ込むシェルターの設置など安全対策を進め、この度の解除に至りました。
なので八丁ダルミが歩けるようになったこのタイミングで、犠牲になった方々への慰霊の意を込めて、御嶽山に登ることにしました。
今回は田の原登山口の七合目から王滝口登山道経由で剣ヶ峰へ。
そこからニノ池を経由して三ノ池をぐるっと回って田の原に戻るルート。
できるだけ広範囲の様子を確認したかったので、ちょっと長めのルート設定にしました。
標準コースタイムは9時間20分。
御岳ロープウェイを利用する黒沢口登山道経由も考えたのですが、ロープウェイの始発時間が遅いので、今回は車で田の原駐車場へアクセス。
駐車場に上がってくる途中、すごく壮大な雲海が広がってました。
この鳥居をくぐって御嶽山剣ヶ峰へと向かいます。
頂上までの規制緩和は10月11日までです。
御嶽山ではヘルメット着用が義務付けられています。
正面にそびえるのが『御嶽山』です。
大きな裾野を広げる独立峰で、富士山に次いで2番目に高い独立峰です。
8合目避難小屋
富士見石
9合目避難小屋
王滝頂上避難小屋
王滝頂上
奥に見えるのが剣ヶ峰
王滝口頂上奥社
ここから八丁ダルミに入ります。
二ノ池分岐を左へ。
ここから先は速やかに通過します。
シェルター
慰霊碑に手を合わせます。
胸が痛み涙が出てきます。
噴火の爪痕があちこちに。
この階段を登りきると
御嶽神社奥社が現れ
標高3,067m 79座目の『御嶽山』登頂です。
御嶽山は、霊山としても名を馳せていてその歴史は深く、一説では702年に開かれ、剣ヶ峰に御嶽神社が創建されたと伝わります。
開山から長らくは、厳しい修行を経た者だけが入峰を許されていたそうです。
御嶽山は山岳信仰の山で、通常は『富士山』『白山』『立山』で日本三霊山と言われてますが、このうちの白山、または立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もあります。
江戸時代になると庶民の入山も認められ、御嶽山への登拝が全国的に普及しました。
江戸末期から明治初めにかけて、毎年何十万人も登ったといわれる御嶽講の賑わい。
日本の山岳信仰史において富士山と並び講社として庶民の信仰を集めた霊山です。
登山道には仏像や霊神碑などが立ち並び、御嶽山全体で据えられている数は2万を超えるそうですが、9年前の噴火で山頂部は荒れ果て、山小屋や石碑はひどく損傷しました。
山頂直下の慰霊碑の脇には、3基のシェルターが新設され
標高2,905m、日本で一番高い場所にあるコバルトブルーの水を湛えていた二ノ池は、灰や土砂がたまり一変しました。
噴火災害によって山小屋『二ノ池本館』は解体され、『二ノ池山荘』が新たに建てられました。
二ノ池山荘内の売店には、噴火時の噴石が置かれていました。
三ノ池は美しいコバルトブルーでしたが
田の原登山口にある御嶽山ビジターセンター内には
被災された方の携帯電話や
噴石で穴があいた御嶽神社頂上奥社祈祷所の壁が展示されていました。
火山大国ニッポン。
日本百名山のうちの1/2が火山、1/3が活火山、1/4(23山)が気象庁が常時観測・監視する火山。
2018年に噴火し死傷者を出した『草津白根山』は、現在登山禁止。
御嶽山も草津白根山も噴火時には噴火警戒レベル1だっただけに、常に注意をはらって歩きたいと思います。
御嶽山噴火でお亡くなりになった故人様のご冥福をお祈り申し上げます。
また、いまだ行方不明の方々が一日でも早く発見されますように。
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